団塊世代の退職
団塊世代の退職が始まっている。
彼らの退職が世の中に団塊世代の60代をあふれかえらせるのだ。悠々自適組もいれば、顔面蒼白組もいれば、楽観的なケセラセラ組と色々な退職組がいる。実に退職といっても団塊世代ほど多様な人々の群れはかつてなかっただろう。これは当然の話で、数が異常に増えれば現象はそれに比例するのは法則上当たり前である。
団塊世代は彼らの少年期から半世紀に渡って日本社会に何かと良きにつけ悪しきにつけ、世相の一端たるニュースや諸々の素材を提供してくれたが、やれやれ今回の退職で団塊世代の喧騒も鎮静化、と思ったら、とんでもない。退職しようが彼らは死ぬまでマジョリティとしての団塊世代なのである。彼らお騒がせ団塊世代には同じく団塊世代たる奥方もついている。
奥方は亭主の退職を機に離婚を考えていたりして、これがまたけっこうバカにならない割合とくれば、そこは団塊世代の数がベースだからして、その数たるや大変なものとなり、マスコミがとびついて喧伝する。団塊世代亭主が退職して家の中にごろごrしているとこれも大変な数に上るから、またマスコミの餌となる。かくして民主主義と団塊世代は「多数決の暴力」でもって世の中を我がもの顔でのし歩くことになる。
こっそり、ひっそり退職して、静かな老後を送ろう、などと小さくなって退職してもダメなのだ。団塊世代はその数のためにどこにも隠れようがないのである。例え隠れようとしても頭隠して何とやら、すぐに見つかってしまうかわいそうな人々の集団でもあるのだ。